今年8月1日にお亡くなりになった阿久 悠氏を特段に存じ上げてるわけではありません。普段も、特に今年の暮れは、氏の作詞の唄で幸せを感じている一人です。
昭和53年ころ私の母校でもあります山梨県立日川高等学校が、数少ない甲子園の春・夏合わせた大会出場の中で特に燃えた年でもありました。
初戦を突破した2回戦の日川に、NHkの放送に特別ゲストで出られた阿久 悠氏は「何か起こるとすればこの試合しかない」と声援して下さいました。
あの時のシナリオは果たして、氏の門外不出の企業秘密のメモに有ったのか、無かったのか、お聞きしたかったのです。
2回戦の相手は当時も今も、飛ぶ鳥を落とす勢いのPL学園でした。日川は2対5で敗退しました。
昭和53年ころ私の母校でもあります山梨県立日川高等学校が、数少ない甲子園の春・夏合わせた大会出場の中で特に燃えた年でもありました。
初戦を突破した2回戦の日川に、NHkの放送に特別ゲストで出られた阿久 悠氏は「何か起こるとすればこの試合しかない」と声援して下さいました。
あの時のシナリオは果たして、氏の門外不出の企業秘密のメモに有ったのか、無かったのか、お聞きしたかったのです。
2回戦の相手は当時も今も、飛ぶ鳥を落とす勢いのPL学園でした。日川は2対5で敗退しました。
かなりの道楽者と拝見しておりますが、挙句の果て週3回の人工透析に通う同級生(お客様です)が、奥様から腎臓の提供を受け今日無事に退院されました。
もう10年以上も前からのお客さんです。いつもご来店と同時に固い桃、うまい桃くれ・・・合言葉ですがその陰にはいつも付き添いご主人の体を気遣う奥様の心配顔がありました。
昨年から「母ちゃんの腎臓もらうんだ」とあっけらかんに語っていたご主人でしたが、ご自分の体調不良で時期を探っていたようですが、先月8月21日に手術、腎臓提供者の奥様は25日に退院、本日張本人が順調に退院というお目出度い連絡をいただきました。
進んだ医術と、理解ある臓器提供者と、免疫抑制剤のおかげで、再び病気のことを心配しなくてよい健康な体を取り戻した同級生にお祝いを申し上げ、それ以上に奥様に感謝いたします。
もう10年以上も前からのお客さんです。いつもご来店と同時に固い桃、うまい桃くれ・・・合言葉ですがその陰にはいつも付き添いご主人の体を気遣う奥様の心配顔がありました。
昨年から「母ちゃんの腎臓もらうんだ」とあっけらかんに語っていたご主人でしたが、ご自分の体調不良で時期を探っていたようですが、先月8月21日に手術、腎臓提供者の奥様は25日に退院、本日張本人が順調に退院というお目出度い連絡をいただきました。
進んだ医術と、理解ある臓器提供者と、免疫抑制剤のおかげで、再び病気のことを心配しなくてよい健康な体を取り戻した同級生にお祝いを申し上げ、それ以上に奥様に感謝いたします。